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2023年7月 KOBE 16bit 閉店に寄せて

物理的にも精神的にも、何もない中でワクワクとドキドキと、不安だけがそこにあった、2003年3月。
あれから20年が経ち、梅雨明け直前の朝からとても暑い日、最後の日まで徹夜明けだった。最後の音響はソロギタリストであるクボタアツシの「歌」で、なんともライブPAらしい締めになった。
思えば20年間、気持ちの中では落ち着いた休日らしい休日もなかったが、不思議と苦痛はそれほどでもなかった。

右も左もわからないまま、ただただ「箱を作ろう」と思った時から20年が経ち、一区切りを迎えた。自身の音楽活動に直接関与せずとも、得たものは多く、ここに記してもいいなと思ったので、ここに一筆残しておこうと思う。

イベント開催時の実作業では主にPAとして、この20年の一番のありがたさは、緊急のトラブル以外すべてのステージのPAをやりきってこれたこと。「継続は力なり」「最初と最後の資本は健康だからな」と父がよく口にしていた言葉が、少なからず刷り込まれていたのだなと、今ふと思う。

進路は音楽だと自分の中で確定していた高校卒業当時、むしろ在学時からなんとか退学を我慢していたあの頃。
音楽をやるなら「とりあえず」専門学校にでも行くか。どうせなら「学校でしか学べないもの」でもやっておくか。そんな軽い動機で一年音響を形ばかり学び、その後始めた小さな箱でのライブPAは、学校では学べない事ばかりで毎日がてんやわんやだった。

毎日が勉強などと型にはまった言葉にしかならないが、本当にその通りでしかなく、ライブにおいて「同じ日はない」ことを一番知っているのは、実は音響かもしれないとさえ感じたことを思い出す。

音を創ると一口に言っても、何が良い音で何が悪い音なのか。
それはとても難しく、まずもって日常生活では溢れる音すべてが「当然」であるからで。それに対して常に「良い音だな」と心から感じながら生きている人はいないだろう。

要は「当然」「普通」のことを「創る」ということをする、という不自然なことをいつでも計らねばならない。音楽ライブの音響ということであれば、演者それぞれの持つ「普通」や、その日の体調、楽器の調子、あるいは気候条件。
そういった事々を見極めつつ、演者の出したいものを引き出す、あるいは形作ることができないと、そもそも始まらないのだということ。端的に言えば、正解がないのに正解を決めねばならない。これを言語化するのに三年くらいかかった。

音響の仕事ってどういうものですかと、この20年でしばしば質問されることもあったが、その度に「決める作業かな」と僕が答えていた理由のすべてがこれだ。そしてまたすべてのPAやミュージシャン達が、これらを念頭に置けていたならば、インディーズライブ業界の未来は今ほど暗くもなかっただろうとも思う。

あの時先生が言っていた「PAとは決して音だけのことではなくて、最終的にできる限りのいい形をしっかりと大衆に繋ぐことだけが仕事なんだ」という言葉の意味が、今ならよくわかる。

音の話はこれくらいにしておこう。

もうひとつ、これは本当に自分だけのもので半ばどうでもいいことだが、箱を作る時に決めたことがある。
それは、演者のステージを見る時に腕組みをしないこと。演者がやりたいことはなにか、を演者自身がわかっていなくとも知ろうとすること。正当化の為に「売れる為には」という言葉を使わない事。
なりたいものには遠くとも、なりたくないものにならないことはすぐにでもできる、とは常々思っているが、20年間守ることが出来た取り組み、もっと言えば、20年前から決めることが出来ていたのはこれくらいかもしれない。

閉店のお知らせをして以来、自分の中では、僕と僕以外のほぼすべての人々との間に、寂しさや喪失感について、何かしらの隔絶があるように感じている。逆にそれを感じ取らせ、少し寂しい想いをさせてしまった方もいるかもしれないが。
僕にとって16bitは、誰かが創ってくれたから行くことが出来る場所ではなく、元々不必要であったはずの、僕の勝手な想いと勢いで「とりあえず」創ったような場所だ。

自分のやりたい音楽をしたいという想いと、業界を取り巻くものものに隔絶を感じていたあの頃、今よりももっと金も実績も関係も経験もない中で、なんとなく掴んだ、また与えてもらったチャンスでひねり出しただけの箱。

そこには最初、当然何もなかった。
そこにいろいろな人がいろいろな想いを勝手に載せてくれて、今の感傷が成立している。この「勝手に」がとても大切でありがたいことであり、ただ一生懸命にこなしてきただけの僕にはそういったものが特にない。だからこそだ、柄にもなく本当に皆々に感謝してしまっている。

ただその上でだが「最初から何もなかった」そこに戻るだけなのだ。
一方でここに書いたこと、そして書ききることは絶対にできないであろう膨大な何かを、たくさん失くし、それ以上にもらってきた。個人的に言えば、そうして残った歌がたくさんある。それが一番の財産で、僕にとって本当にかけがえのないものはきっとそれなのだろう。

歌をみれば、いつでもそこに16bitがあるだろう。そしてもちろん、その中には人や出来事、気持ちやもらったもの、なくしたものがある。皆が16bitを想ってくれるのと「同じように」その歌たちにもたくさんの何かが載っていく。それでいい。
そんな20年の証を、誰が気安く扱えるだろうか。少しむずがゆいが、きっと僕にとっては16bitも歌の一つのようなものだったのだろう。

えらく長文になってしまった。

店の事について、ここまでしっかりとこういう形で文字に表すのはおそらくきっと、最初で最後になるだろう。20年間ほぼ発信しなかったことを、すべて表したとは到底言えないが、今残したいものは書けたろうと思う。

いろいろなことで欠けているものを埋めてくれた身の回りのおかげで、僕は僕自身の思う嫌な形式に少しもとらわれずに今日までこれた。機会をくれた社長やいろいろな事を整えてくれていた仕事仲間、無関係ながら支えてくれた友人、そしていろいろなことがあったにしても、たくさんの関わりに本当に感謝している。

僕の作る音を好きだといい、信頼を寄せてくれた演者の皆様、本当にどうもありがとう。
音楽、コント、演劇、落語、含めて49684曲。またどこかで一緒にステージを創る機会もあるかもしれない、その時はどうぞよろしく。出来る限りのめんどくさい作業をしよう。

そしてまたトイレもなく、ステージを楽しむことしか出来ることのない、みすぼらしいままのあの箱で。
たくさんの演者たちとともに作ったステージを、楽しんでくれた皆様、あるいは遠くから心を寄せてくれた皆様。20年間の中で何年であっても数日であっても、心から感謝します。

最後に。

たとえば僕自身を含め、16bitを愛してくれたすべての皆様に対し、16bit自身は何も思わないでしょう。ただただ、そこに在るだけでいいのだと、あの箱はそういうことも教えてくれていたような気がします。

明日で僕の歌うKOBE 16bitとは永遠にさようなら、ならばこそいつも通りの歌を歌おうと思う。それが君の望みだろう。
たくさんの喜怒哀楽、本当に苦しい事、そして最高の瞬間をくれたな。本当に心の底からめんどくさくて、意識しないと気づけない愛しさの20年間だった。どうもありがとう。

2023年7月21日 SASAYAMA.